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あの文豪がBLを!川端康成が愛した“少年”とは?『少年』70年ぶりに刊行

10代の川端康成が、孤独と屈折を抱えていたことは想像にかたくありません。そんな彼の前に現れたのが、同室の美しい後輩「清野少年」でした。
川端康成は2人の関係を赤裸々に書いています。
――お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。
――床に入って、清野の温い腕を取り、胸を抱き、うなじを擁する。清野も夢現のように私の頸を強く抱いて自分の顔の上にのせる。私の頬が彼の頬に重みをかけたり、私の渇いた脣が彼の額やまぶたに落ちている
(以上本文より)

うなじも唇もゆるしあっていた川端康成と少年。
しかしある出来事をきっかけに、少年と会うことを完全に止めてしまいます。川端22歳の夏、京都嵯峨での事でした。唐突な別れの裏に何があったのか。川端康成が「妬み」と書いたのはなぜなのか……。

川端康成は作中で、自分の心を次のように吐露しています。
――幼少から、世間並みではなく、不幸に不自然に育って来た私は、そのためにかたくななゆがんだ人間になって、いじけた心を小さな殻に閉じ籠らせていると信じ、それを苦に病んでいた。人の好意を、こんな人間の私に対してもと、一入ありがたく感じて来た。そうして、自分の心を畸形と思うのが、反って私をその畸形から逃れにくくもしていたようである。

自分の心を「畸形」と書くとは、なんて痛ましく淋しい自己認識なんでしょう。さらに、「清野少年と暮した一年間は、一つの救いであった。私の精神の途上の一つの救いであった」とも書いています。

なぜ、あれほど愛した少年との交流を絶ったのでしょうか。川端康成の孤独な魂にとって「少年」とはなんだったのでしょうか。そしてなぜ後年、50歳になった時に、本作『少年』を書くことにしたのでしょうか……。
作家の精神の謎は容易に解けるものではありません。しかし、50年前の自死の謎を考える手がかりが本書にあるとしたら、まぎれもなく〈BL文学〉の名編といえるでしょう。

(文/松川水七見)

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松川 水七見

まつかわ・みなみ BLならなんでも好きな猛者です!甘々から闇系まで美味しくいただけます。

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